「父を許せない」という気持ちはどう対処したらいい?【実経験から思うこと】

浜辺で手をつなぎ歩く父と小さな娘の後ろ姿50代のココロ

「父を許せない」。

少し前まで、わたしはずっとそう思い続けてきました。

今は、「毒親」という言葉もよく聞かれるようになったけれど、わたしの父もそうだったのかもしれません。

でも、今の気持ちは少し違います。

ということで、今回は、わたしが父を許せないと思っていた理由、そしてそれがどう変わっていったか……ということを中心に振り返ってみようと思います。

お父さんとの親子関係に悩んでいる方の参考になれば幸いです^^。
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「父を許せない」と思っていた理由

父を許せない、そう思うようになったのはいつ頃だったのか……?

今思い返してみると、時期ははっきりとはしないものの、少なくとも幼少期から苦手意識はあったように思います。

実の父親に対して苦手意識を持ってしまう。

同時にそれに対して申し訳ないという気持ちも常に抱えていて、子供のころから常に胸中は複雑だったような……。
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「男は外で働いて、女は家の中のことをやる」その定義が逆に近かった我が家

父の思い出でまず最初に浮かぶのは、家にいる時間が、母よりもずっと多かったということ。

家で仕事をするというわけではなく、ただソファーに寝っ転がってテレビを見ている姿が今も脳裏に焼き付いています。

父は事業を営んでいましたが、雪が降るとほぼ仕事は皆無。

当然ながら収入は不安定でした。

家族を養うという自覚があれば、仕事のない冬を見込んで、その分も頑張って稼ぐと思うのですが、残念ながらそうした考えはなかったようで(涙)。

母が自営業をたたんで会社員になってほしいとお願いしても、職人気質の父は首を縦に振らず。

それなら、営業にもっと力を入れて仕事を頑張ってほしいと言っても、あまり社交的ではない父にとってそれは難しかったようです。
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そんな状況だったため、母は常にパートで働いていました。

学校から帰っても、「おかえり」という母の声はなく、目に入ってくるのは寝転がる父の姿……。

これは、当時のわたしには、かなりキツいものがありましたね。。

子供の頃のわたしは、いつも「なんでウチは、お父さんは家にいて何もしないで、お母さんはいつも外で働いているんだろう?」と不思議に思っていた気がします。

世間一般の父親像とはかけ離れた姿が、子供心にも悲しかったな……。

父には、尊敬できる存在でいて欲しかったんでしょうね、きっと。
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自由が欲しかった

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冬はいつもゴロゴロして家にいた父が、学校から帰ったわたしに言いつけていたのが、軒先と歩道に出るまでの雪かき。

それも、スノーダンプやスコップを使う本格的なもので、2時間くらいの時間がかかります。

どこかに遊びに行きたくても、友達との約束があっても、「雪かきをしてから行け」。

高校受験のときも、「うちには私立に通わせるお金はない。志望している公立高校に落ちたら困るから、安全圏内の高校で我慢しろ」そう言われ、家から遠い全く希望していなかった進学校へ。

家の事情なのだから仕方ない、と受け止め始まった高校生活も、「部活をさせる経済的余裕はない。学校が終わったらまっすぐ帰ってこい」。

まったくといっていいほどわたしの希望は通らず、自由もなかったのです。

……もっと自由な子供時代、青春時代を過ごしたかった……。

そして、せめて父が「子供のために仕事を頑張ろう」という姿を少しでも見せてくれていたら……。

たとえ家の経済状況は厳しくても、もっと前向きな学生生活を送れたんじゃないかなと思うのです。

父からの愛情を感じたことはほぼなかった

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思い違いだと思いたいけれど、わたしは父からの愛情を感じたことってほとんどありません。

逆に、今になって思えば虐待に近いことをされていたんだな、と思うことは結構あります。

わたしを泣かせて楽しんでいた、そんな節も多々あったし、手もよくあげられていたっけ。。

意地悪なこともずいぶんされていました。

愛情表現だと思いたいけれど、どう考えても明らかにからかいの範疇を超えていたんですよね、悲しいことに。。
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たとえば修学旅行から帰ってきたとき。

ほとんどの親は駅まで迎えに来ていたけれど、父は家でゴロゴロしているにもかかわらず「面倒だから」といって来てくれず、わたし一人だけバスで帰るとか……。

「高校に通わせるだけで精いっぱいだから、洋服なんて買えない、出かけるときも制服で行け」とか(涙)。

バイト厳禁の高校だったから自分でお金を得ることも出来ず、実際に、友達と出かけるときも制服を着ていくこともよくありました。

制服、学校指定のジャージ、そしてごくごくわずかな私服、それが当時の私のワードロープの全てだったのです。

……何とかプラス面を見つけたいところだけど、こうした父の態度には、正直なところ今でも許せないものはあります。

そうではないと信じたいけれど、父の行動からは、どう頑張っても一切の愛情を感じることはできませんでした。
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